「Ⅸ.「自分は誰?」(その2)」

ご訪問ありがとうございます。
お預かりさせていただきました「Universe State」を、少しずつご紹介いたします。

●「Universe State」(全文):http://moto-kokoro.cocolog-nifty.com/blog/files/uniearthcity1.pdf
●「ユニアースプロジェクトⅡ」(全文):http://moto-kokoro.cocolog-nifty.com/blog/files/up2f.pdf
●「4.自分は誰か?に基づく生き方」(22分18秒)(「第2回仙台すぴこん・スペシャセミナー」2004年10月11日より):http://spiritual-tv.com/old/ss2-nkazato_4.wmv
●コミュニティ「ユニアースプロジェクト」:http://mixi.jp/view_community.pl?id=2110755


Ⅸ.「自分は誰?」(その2)


 実は「物」と「名」は、創造力とはどのような能力なのか、そして自分が「誰」なのかの問に答えを出すための必須材料でもあるのです。
 というのは実際に創造力を「物」に置き換えて具現化(物質化)し、創った「物」を認識するために「名」を用い、「創造力とはどのような力なのか」や「創造したのは誰であったのか」を、実際に確認(追体験)する必要性があったと考えられるからです。
 即ち「物」と「名」は自分自身を創り、一切を体験し、一切を知るための道具であり、全学問を駆使し中枢命題(人は何所から来て、どう生きて、どうなればよいのか)を解く材料であり術ともいえるのです。
 但し「物」と「名」の原点(宇宙が出来る前=起源)は、「物」と「名」の範疇には無いため、自分の正体や宇宙の起源などの真理には、学問をもってしても到達できないという結果が待っています。従って真理は、最終的に悟る以外に方法はありません。
 そのプロセスは、与えられた閃きや気付き、または目覚め等様々ですが、フタを開けてみると真理は単純明快です。
 何れにせよ人類は、「物」と「名」で出来た井戸の中(記号では、αで形容)に居たということを知る事が出来る存在です。そして井戸の中に居たことが分かるということは同時に、井戸を創った者にのみ知りえることであり、そのもの自身が井戸を創ったという証明になってしまうのです。もしも、仮にこの井戸がなければ例え物質的に何があろうとも、一切の「名」が無いと、宇宙も、自分も、神仏など総ての存在が無に等しくなってしまうのです。(宇宙という名前のない○○とは何?)
 この証明は、「人は宇宙という井戸の中の住人であるのと同時に、元々は宇宙の創造者(一片)」であることを意味します。
 わたしたち一人ひとりは、宇宙の創造者の一片(一部分・一人)であるがゆえに、一人だけでは決して生きることができない、全体一体で機能している生命体(人)なのです。(○○さんや○○君ではない、本当の自分)


●転載をお願いいたします。