Ⅰ.地球環境破壊と精神性の崩壊の原因(その3)

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Ⅰ.地球環境破壊と精神性の崩壊の原因(その3)


⑵精神構造的原因
①精神構造的な原因を解く際に鍵となるのが「自我(エゴ)とは何?」と「人間(自分)とは何(誰)?」という問いです。この問いが幾ら哲学的、宗教的であるといわれても、「生きる」ということや「人生にとって大切なものは何か」を考える時、避けて通ることはできません。この問いは全学問の中枢命題(命があるうちに解かなくてはならない最も重要な問い)と呼ばれています。(哲学を社会の基盤にする政策が必要な時)
 精神面は非科学的(暗在系)でもあり、一般的には避けて通りたい内容なのですが、ここでは大変重要な問題解決の鍵となりますので、あえて触れさせて頂いています。
 それでは精神構造的な原因と考えられる「自我(エゴ)」が誕生するメカニズムについて検証してみましょう。
 「自我(エゴ)」は、一般的に我欲や欲望や欲求などの根源といわれています。(「自我は数千年前と同様に現在も謎」ブリタニカ国際百科辞典
 「自我」が誕生する過程の第一段階は、①人体に②名前を付け「自己」になるステージです。(命名=自己確立の鍵)
 このステージでは、「人体」の成長(食事や運動など)と「自己」の成長(学問や教育など)をします。
 つまり体格形成(人体=有形的な「生」いのち)と人格形成(人=無形的な「命」いのち)の二つの成長をするということです。

 仮にこの時期に狼や猿に育てられたり、軟禁状態で育てられたりして声かけのない環境で育つと、「自己」は形成不全となってしまい、人の社会での生活が営めなくなります。
 本文では人を、万物の創造の起源となる意識と定義付け、「起源意識(人)」と呼んでいます。(宇宙のビッグバーンや揺らぎの起源となる意図の根源)また「起源意識」自らが分れて「自分」になっているとも考えています。
 続いて次のステージでは、形成された「自己」が様々な物(有形・無形)を所有することで形成される「我己」が誕生するステージです。
 「我己」とは聞き慣れない名前ですが、「自己」が物を所有する慣習によって、「自己」と同等またはそれ以上の価値観を持つ、もう一人の陰の存在(分身=「我己」)をいいます。(人格の二面性)
 例えば自分(「自己」)自身が傷つけられなくても、自分の所有物である車や鞄等が傷つけられると、あたかも自分自身が傷つけられたかのように怒ることがこれに相当します。

 この例は有形的な物ですが、これ以外に無形的な例として社長や先生、学者や公務員、社会的地位や名誉などのプライド(自尊心:自らが尊ぶ存在を「我己」という)が傷つけられるも挙げることができると思います。
 不思議なことに判断基準が人(「自己」)から、「我己」に移ることで、車を持つと自分の車を中心にしたり、社長や先生になると社長や先生を中心にしたり、子供を持つとお母さんを中心にして、物事を判断するようになるのです。
 これが「我己」の特徴なのです。
 そしていよいよ最終的なステージで「自己」と「我己」が融合することで、「自我(エゴ)」が誕生します。
 一旦「自我」を形成すると物事の判断基準は、徐々に「我己」を中心にするようになり、利他的な発想が損なわれていきます。
 この結果、判断をしているのが人(「自己」)ではなくなる為に時として判断を誤ることになるのです。
 例えば会社の社長になると、「自己」の判断ではなく、「社長」としての判断を優先するようになり、会社の利益の為ならばたとえ人の道を外れても会社の利益を優先してしまうことなどが挙げられます。(一部の人なのですが残念・・・)
 つまり「自我」が形成されると、人は利害関係を重視し、「私(わたくし)」即ち私有や私略、私利私欲など独り占めや邪(よこしま)な考え方になりがちになります。いわゆる人の立場になって物事を考えるのではなく、私的で自分勝手な考え方になるということです。
 そして最終的には、人の役に立とうとすることより自分(私)を最優先するようになってしまいます。
 また社会自体が強い「自我」を形成しないと生き残れない「自我社会」になっていることも原因を助長拡大しています。(自分だけを大切にする)

 現在、大半の人類は「自我」という状態にあります。人類の「類」は「たぐい」のことですから、本来の人(「起源意識」)とはまったく異なった偽者(類)ということになります。
 大切なことは、どうしたら偽者から本物へ戻れるかということです。
 その唯一の方法が「自我」の形成を極力抑制することなのです。
 つまり地球上で「自我」となってしまい、本物(「起源意識」)に戻れないままでいると、人(「起源意識」)としての判断を下せなくなり、やがて地球を壊してしまい、破滅してしまうということなのです。
 即ち「自我」の形成こそが「判ってはいても、止められない」という異常な精神状態に陥る社会構造を生み出した最大の原因と考えられるのです。
 ギリシャアポロン神殿とヒロシマ原爆ドーム対岸にある平和の鐘には、それぞれ「汝自身を知れ」と「自己を知れ」と書かれています。
 このメッセージは、人類が「自我」であることを改めないでいると、「自分勝手な考え方や生き方をしてしまい、最終的には崩壊または破滅してしまう」という警告とは考えられないでしょうか。
 「わたしは誰?」という問いがありますが、この問いは「起源意識」自らの問いであり、「起源意識」だからこそ出てくる問いです。(宇宙と地球、人体と「自己」は「起源意識」が完成する為に必要な道具でもあり世界でもある)
 わたしたち一人ひとりは「起源意識」の一部です。
 すなわち一人という存在は「起源意識」の一部であり、全体とは「総ての人の意識の和合したもの」、これこそが「起源意識」ということなのです。
(和多志(わたし)とは多くの意志が和したもの≠私(わたくし)とはひとりよがり、即ち人≠人類)
 「起源意識」は、元もと全体一体で機能している生命体と考えられます。ですから日常生活の場(環境)を、全体一体で機能できる社会にしておかないと、天性や天命や天寿のまっとうが出来ないようになっているということなのです。
 この理由こそが、総ての人が区別や差別なく、公平で仲良く、平和で幸福に暮らせる、理想的な社会を創らなくてはならない最大の理由(大義名分)ではないかと思われます。(哲学的な理由付けが社会基盤の構造を成すべき)また「人間」とは辞典によれば「世の中・世間」と書かれています。
 ということは皆が「起源意識」であって、皆が「起源意識」だからこそ「人間(世の中・世間)」を創ることができるのではないかと思います。
 そこで以上のことを踏まえて問題に戻りますと、困ったことに今の世の中は「自我」を強化しなくては生き残れない「自我社会」となっています。
 この自我社会の骨子を成すのが資本主義(競争社会、弱肉強食)と市場経済(環境破壊、差別化)と拝金思想(金権主義、金至上主義)なのです。
 また命(人「起源意識」)には差別や区別が無くても、生(人体)のおかれた境遇によってできる差別や区別によって待遇や接遇が違っています。
 従って今の世の中は、公平や共生などの理想的な社会(起源意識社会)とは程遠く、次々と「腐った林檎(自我)」が育つ林檎箱(自我社会)と化しています。(現代社会=林檎が腐る林檎箱)
 この状態を改めるには、社会構造と精神構造の二つを同時に解決する必要性があることはいうまでもないことだと思います。

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