今まさに理想的なコミュニティUni‐Earth Cityを基盤にして地球国Uni‐Earthを造ることができれば、総ての人が「起源意識」として生まれ、「起源意識」として生きることを可能にする、最後の大きなチャンスが到来しています。
一旦「起源意識(人)」として目覚めれば、生きる目的は達成へと向かい始め一切の問題や矛盾や謎を解決することが可能となります。
また完成した人(「起源意識」)に総ての人が成ることが出来れば、理想社会を恒久的に存続させることも可能になります。
だからこそ可能な限り早くUni‐Earth Cityを、何処の国にも、何れの宗教にも囚われず、民族性に囚われる事も無く、人として暮らせる場として造り、人(「起源意識」)として生きることのスタンダード(生命維持の基盤整備)を示す必要があります。
これを示す事で世界中の国家や宗教や民族に拘束された既成概念は払拭され、広い宇宙の中で生命が息づき美しく青く輝く小さな地球という星の中で、人と人が仲良く出来る世界を創る重要な一歩を踏み出せます。
しかし重要な一歩を踏み出す前に、既存の林檎が腐る林檎箱を放置し林檎と林檎の木が腐るのを待つのか、または林檎箱を造り替え素晴らしい林檎が育つ林檎の木を育て、理想的な林檎箱を創り素敵な林檎たちと共に暮らすのかを、国家を動かす人々をはじめ世界中の人々がどちらを選択するのか真剣に問われるときが来ています。(重要な事は人の意識を替えられるかどうかにかかっている)
「人の意識」には二面性がある事は前述の通りで、一つは「良心(「起源意識」)」、一つは「邪心(「自我」)」です。
そこで総ての「起源意識」に地球国の建国の正否をもって本心を問う事にしたのです。
もしも大多数の人々にとって「邪心」が本当の自分の正体で、ここに至ってなお和の世界へ向けて具体的に踏み出す事をせずにいるならば、何度創っても必ず滅びる終末がやってくる為、二度と宇宙を創造する必要はないでしょう。
しかし「良心」が本当の自分の正体ならば「邪心」と決別できるはずです。
さあいよいよ最後の審判の到来です。「良心(「起源意識」)」なのか「邪心(「自我」)」なのか…、世界は大きく揺れ、二つに割れその後に答えが出ます。(山羊か羊か?)
この審判は「起源意識」自身の審判です。ですから審判を下すのは、総ての「起源意識」の分身である一人一人です。だからこそ「起源意識」である総ての人々に問う必要があるのです。(自分の頭は自分で審判させられる構造)
常識的に考えれば富裕層の人々が創り替えに賛同するとは到底思えませんが、それは問題ではありません。林檎の木(地球)が朽ちれば富裕層も、誰もが困り苦しむに違いないからです。
一旦「起源意識(人)」として目覚めれば、生きる目的は達成へと向かい始め一切の問題や矛盾や謎を解決することが可能となります。
また完成した人(「起源意識」)に総ての人が成ることが出来れば、理想社会を恒久的に存続させることも可能になります。
だからこそ可能な限り早くUni‐Earth Cityを、何処の国にも、何れの宗教にも囚われず、民族性に囚われる事も無く、人として暮らせる場として造り、人(「起源意識」)として生きることのスタンダード(生命維持の基盤整備)を示す必要があります。
これを示す事で世界中の国家や宗教や民族に拘束された既成概念は払拭され、広い宇宙の中で生命が息づき美しく青く輝く小さな地球という星の中で、人と人が仲良く出来る世界を創る重要な一歩を踏み出せます。
しかし重要な一歩を踏み出す前に、既存の林檎が腐る林檎箱を放置し林檎と林檎の木が腐るのを待つのか、または林檎箱を造り替え素晴らしい林檎が育つ林檎の木を育て、理想的な林檎箱を創り素敵な林檎たちと共に暮らすのかを、国家を動かす人々をはじめ世界中の人々がどちらを選択するのか真剣に問われるときが来ています。(重要な事は人の意識を替えられるかどうかにかかっている)
「人の意識」には二面性がある事は前述の通りで、一つは「良心(「起源意識」)」、一つは「邪心(「自我」)」です。
そこで総ての「起源意識」に地球国の建国の正否をもって本心を問う事にしたのです。
もしも大多数の人々にとって「邪心」が本当の自分の正体で、ここに至ってなお和の世界へ向けて具体的に踏み出す事をせずにいるならば、何度創っても必ず滅びる終末がやってくる為、二度と宇宙を創造する必要はないでしょう。
しかし「良心」が本当の自分の正体ならば「邪心」と決別できるはずです。
さあいよいよ最後の審判の到来です。「良心(「起源意識」)」なのか「邪心(「自我」)」なのか…、世界は大きく揺れ、二つに割れその後に答えが出ます。(山羊か羊か?)
この審判は「起源意識」自身の審判です。ですから審判を下すのは、総ての「起源意識」の分身である一人一人です。だからこそ「起源意識」である総ての人々に問う必要があるのです。(自分の頭は自分で審判させられる構造)
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